●A君、23歳、営業職、入社1年2カ月
A君の能力
3回目のA君のカウンセリングでは、転職することと、一人暮らしをすることがテーマになりました。
転職に関してのA君の主張は「アスペルガーのボーダーラインにいる自分は営業には向いていない」ということでした。
入社時は、鉄道関係の仕事に携わることができる満足感がありましたが、対人関係でつまづいてしまいました。
上司の指示が理解できず、どのように改善して良いのか分からないので、
提案文書なども自分なりに考えて修正して提出しても、再々度の修正となり、最終的には怒鳴られてしまいます。
毎日このようなことが続き、A君は疲弊してしまいました。
自分の能力の無さから、自責の念に苛まれたり、人間不信にもなっていました。
理解してくれる人は誰一人いませんでした。
思春期の頃に「お前さ、空気よめないよな。」と言われたことがよみがえってきます。
転職するには、自分の能力の向き不向きを知る必要があります。
そのため、保育園の時、母と一緒に子供医療センターに行き、
アスペルガー症候群のボーダーラインと診断された当時の行動と、その後の様子を話してもらました。
A君の特徴的行動
①保育園で、太った年配の先生に対して、「おばあさん先生、太っているね」と明るく大声であいさつする。
②飼っている金魚が一匹少ないので、先生が「誰か知らないか」と聞くと、
「C子ちゃんが捨てました」とすんなり発言して、後で友達からいじめられた。
本人からすれば、本当のことを言っただけ。
③親戚の家に行った時、おばさんが「今日はどうやってきたの?」と聞くと、
「朝8時3分に家を出て、市営バス10番の8時34分に乗ってきました。降りてから7分歩いてきました。」と細部まで話す。
④みんなの誕生日や電車の時刻表を覚えている
⑤久しぶりに会った人から「最近どう?」と聞かれても、何を聞かれたのか分からないので
「何のことですか?元気かということですか?友人のことですか?」と答えたら「変な子」と言われた。
⑥小学校5年生の時、友人との会話が理解できず、分からないまま「うん。うん。」と頷いていると、
「お前、今何話しているのか分かっているのか?」と言われ、「分からない」と答えると、
「分からないくせに、分かったふりするな!!」と言われた。
それから一人で遊ぶことが多くなった。
⑦友人、教師の名前、誕生日、クラスの配置、教室の広さ等を細かく覚えている。
しかし、友人関係は希薄。
以上が、A君が思い出せる出来事でした。
A君が特徴的に能力が高いのは機械的記憶力で、語学、歴史、地理、コンピューターなど、
反復練習が効果を上げる科目では優れた成績を取っていました。
パソコンは小さい頃から触れており、反応が完全に予測できるので難なくこなしていました。
カウンセリングの結果、転職として選んだ職業はプログラマーでした。
対人関係が苦手なため、データ入力を主とし、上司には自分の特徴的思考、
行動を理解してもらうという方針が決まりました。
1人暮しと転職
母は一方的で干渉が強く、A君は家に帰っても落ち着かない状況だったので、
今まで貯めていた資金で一人暮らしを始める計画を立てました。
とりあえず、家族の了解をとることにしました。
その後のカウンセリングでは、親を説得し、家を探すことが許されたことを嬉しそうに報告してくれました。
親には転職の話はできないので、まずは一人暮らしをして落ち着きたいという希望でした。
自分で計画して結果を出したい、親に一人で決められるところを見せたいと、意欲は高いのです。
無事に一人暮らしもでき、なんと転職先から内定をもらってきました。
求人会社にはアスペルガー症候群のボーダーラインであることも伝えており、入社日まで決めてきたのです。
求人会社に伝えたことは、「抽象的な言葉で話されると何を言いたいのか理解できないことが多いので、
指示は具体的に伝えて欲しい。予定と終了のスケジュールを明確にして、変更が必要なことは一つずつ順番に伝えて欲しい。」などです。
このようなことを言うと通常は不採用になりますが、採用されたということは、A君のずば抜けた記憶力の高さが認められた証だと思います。
しかし、ひとつ問題がありました。
A君は現会社では休職中であり、退職者ではなかったのです。
転職先の入社日まで10日しか余裕がありませんでした。
慌てたA君はまず、人事に退職の旨を伝えます。退職通告してから一週間後に退職を認められました。
人事からは特別な質問もなく、事務処理の手続きを終え、無事に退職することができました。
活躍しているA君
その後のA君は、プログラマーとして能力を発揮し、上司からも認められています。
一ヶ月経過後、やっと親に転職したことや新しい会社での仕事などを話したそうです。
特に母は、最初ショックを受けたようでしたが、深く感動したそうです。
最後に母は「これで私の役割が少し楽になったわ」とA君に伝えたそうです。
A君の愛すべきキャラと人生に幸あれ。