●A君、男性、23歳、営業職、入社1年2カ月
営業職の戸惑い
A君は入社後、営業部に配属されました。
明るく積極的な性格と小さい頃から鉄道マニアで大学卒業後、鉄道関係の仕事に就きたいという希望が叶い、
意欲も高く鉄道会社向けの営業を望んでいました。
営業部のリーダーB氏(34歳)は、鉄道の時刻表や乗り継ぎの最短ルート、
鉄道・地下鉄の地図全てを記憶しているA君の能力に期待しました。
A君は、お客様先にB氏と同行しながら、お客様の要望を聞き、提案書の作成をし、
面談日を決定していく業務が始まりました。
ある日、B氏から強い注意を受けました。
「こちらの話を聞かず、自分の言いたいことだけを伝え、新人だからやる気はわかるが、教育が足りない」と
客先からクレームがきたという内容でした。
その後、A君はB氏から細かい指導を受けることになりました。
具体的なコミニュケーションの取り方、提案書、報告書の書き方、スケジュール調整、
ホウレンソウ(報告・連絡・相談)の
タイミングと簡潔な話し方などです。
A君は、鉄道関係の知識が豊富なだけで、日常の様々な仕事に対応できなくなったのです。
B氏からは「こんなこともできないのか、大学で何を勉強してきたんだ、どうして常識的なことを
いちいち教えなきゃならないんだ」と叱責を受ける日が続きました。
適応障害で休職
そんな日が1カ月も続いて、仕事を休む日が多くなり、勤怠が乱れてきました。
夜眠れず、朝の頭痛、食欲低下、服装の乱れ清潔感がなくなってきました。
B氏の勧めで心療内科を受診し「適応障害」で1カ月の休職となりました。
A君は休職中のある日、高校時代の友人の紹介で来所しました。
睡眠薬を服用してよく眠れているせいか顔色も良く、
入社してから現在までの経緯を時系列で丁寧に説明してくれました。
休職期間が終了間近なため、復職の意思を聞くと、同じ仕事をする意欲が無く、
退職したいという気持ちを伝えてきました。
再度、心療内科を受診し、休職延長の手続きをとる方向で話を終え、20日後、
カウンセリングの予約を取って帰宅しました。
帰り際のA君の表情は安心したのか「またきまーす」と明るい応答でした。
生きづらさを感じる
2度目のカウンセリングに来所したA君の表情は明るく、
鉄道関係の学生時代のバイトや鉄道を利用する乗客の推移の卒論の話を進めます。
ひと通り話が終わると、自分の生育歴の話になりました。
『僕はアスペルガー症候群のボーダーラインなんです』と伝えてきました。
保育園の頃、発達テストを受けて診断されました。
以降、母からの干渉が多すぎて家を出たい。
社会人になったので自立をするといっても聞き入れてくれず、
会社から帰宅しても「今日はミスしなかったか、忘れていることはないか、
上司は何を言ったか、取引先に何を言われたか」など質問責めの毎日であることを話しました。
「僕は小さい頃から何だか変だな、友人とも話が噛み合わないし、生き辛いなと、ずっと感じていたんです。
今の仕事でできないことが多いし、自分に何ができて、どんな仕事が合っているのか将来がとても不安なんです」
A君は小さい頃から違和感を持ちながら生きていたのです。
B氏に常識がないといわれてしまうのは、暗黙のルールの理解が苦手なのです。
B氏に曖昧な指示をされても、ことばの裏側の意味や、感情を理解できないことが多いのです。
この場合、A君には、「いつ、どこで、何をする」と具体的に、丁寧に指示することが必要です。
一度に多くの業務命令を出すと混乱しますので、ひとつを終えて、次の仕事の準備をすることです。
予定外のできごとや突然のスケジュール変更はA君にわかるように明確に伝えます。
今後のA君
復職するとしたら営業職は向いていないようです。
周囲がアスペルガー症候群を理解することが前提ですが、
A君の人格を尊重し、周囲に伝えて理解を求めて良いかの本人の承諾が必要です。
A君は小さい頃から音感に敏感でした。
特定の音を好み、大きな音、ザワザワした騒音を嫌がります。
小学校での音楽が得意というより、わずかな音程のズレに違和感を持つので、
音楽の時間の調子外れの合唱に参加することを嫌いました。
A君は学生時代からロックバンドを組み、居心地の良い音に囲まれ趣味の世界も持っています。
音を追求して行く集中力はアスペルガー症候群の長所でもあります。
次回のカウンセリングは、A君の進路について話を進めていきます。
現在、アスペルガー症候群は、自閉症スペクトラムに位置付けられています。
(続く)
【アスペルガー症候群の特徴】
アスペルガー症候群の人々には、「表情や身振り、声の抑揚、姿勢などが独特」
「親しい友人関係を築けない」「慣習的な暗黙のルールが分からない」「会話で、冗談や比喩・皮肉が分からない」
「興味の対象が独特で変わっている(特殊な物の収集癖があるなど)」といった特徴があります。
このほかに身体の使い方がぎこちなく「不器用」な場合が多くみられます。
(厚生労働省e-ヘルスネットHPより)