横浜みなとみらいの心理カウンセリング

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後継者の重圧

Aさん、34歳、会社経営、既婚、子供4歳

Aさんの父親は40歳の時に会社を立ち上げました。
従業員数は30名ですが、業績もよく、優良企業として、大きく成長している会社です。
Aさんが生まれる前に父は脱サラをして、会社を立ち上げたので、仕事に忙しい父との記憶はほとんどありません。
毎日帰宅が遅く、土日もいない状況ですから、遊ぶ相手は常に上の姉二人だけでした。
父は威厳があって怖い存在だけの印象です。
姉達とままごと遊びに明け暮れていて、Aさんはいつも父親役でした。お父さんってどんなことをいうのかわからず、ただ怒鳴っていればいいと思っていました。

家族と離れ進学

小学校の時、地元の中学に入るのが嫌で、地方の寮のある中高一貫の学校に入学しました。
男子校なので、家の環境と違い毎日が新しい発見でした。
大学は都内でしたが、1人住まいで家に帰ることもなく、友人たちと過ごし、父との触れ合いはありません。
大学卒業後は、サラリーマンとして就職し、地方への転勤も経験しました。
そこで出会った女性と結婚しました。

父親の性格や考え方に触れたのは結婚式でのことでした。
結婚式の采配は父が握り、Aさんの考えているような式にはならず、父のためのショーでした。
来賓は、父の関係者で占められており、挨拶の中心は立派な後継者が育っていて、将来は安泰であるといった内容でした。
妻の親族は公務員の家系ですから、華やかな挙式に戸惑っていました。

家族とのつながりを求めず

Aさんは父の横暴さに振り回されながらも結婚資金の援助を頼んだこともあり、我慢していました。
妻には家族とのつながりは持たず、自分の家を守ることに専念したいと伝えました。
以来、父との親交も持たず、1年後に子供が生まれてから両親に報告をしました。
両親は、お祝い金と山のようなプレゼントを持ち、初孫に会いにきました。
しかし、Aさんは拒否し、家に一歩もいれず追い返したのです。
妻は事前に来ることを知っていましたが、夫に告げることができず、当日を迎えたのです。
まさか夫があそこまで拒否する行動にでるとは想像もしていませんでした。

かろうじてAさんの母親だけは妻の用がある時に子守をしにやってきます。
孫の写真、動画を撮って夫に見せ、「かわいいな。こんなに大きくなったのか。目が息子に似ている。Aもこんな頃があったな」と言っていた夫の反応をAさんの妻には伝えますが、それを妻から聞いたAさんは無関心です。
父は孫に会えず寂しいと母にいっていますが、直接Aさんにはいえず、お互いの気持ちは通じません。

蘇る父との思い出

Aさんの結婚から3年後、父が脳あふれる脳溢血で倒れました。
父の病床に駆け付けたAさんに医師は今夜が峠であることを告げました。
かける言葉もなく、父の顔を眺めました。こんなにじっくりと父の顔を見たのは初めてのことでした。
深いしわからの訴えが聞こえてくるようでした。

涙を流しながらAさんはふと、近くに川に父と二人で釣りに行った情景を思い出しました。
浮がうごくたびに竿の使いかた、重心の置き方など丁寧に教えてくれました。
その時の父の手は温かく、大きく、優しくAさんの手を包んでいました。

そんなAさんに父から預かっていた手紙を母から渡されました。
父からの最初の言葉は、謝罪でした。
「父親として息子に何一つ伝えてこなかったこと、思い出もなく、寂しくしていたのに手を差し伸べられなかったこと、勝手に独りよがりですべてを決めつけていたこと、こんな自分を尊敬しろとまで考えていた私を許してほしい。私は大切な息子を裏切っていたことに気づかず過ごしていたことを思うと胸を締め付けられる思いだった。こんな私だが、会社を立ち上げ、成長させてきた自分だけは唯一誇れると思っている。家族を犠牲にしてまで育てた会社だ。この先のことを考えると社員と家族が心配だ。私の責任は大きい。どうか私の後を継いで欲しい。またこれも私の独断だが、最後のわがままだと思って聞いて欲しい。本当に父として至らなくて申し訳ない」

手紙を読み終えたAさんは初めて父の心情にふれました。

会社を引き継いで気付いた父の大きさ

父は息を引き取りました。
その後、Aさんは会社を引き継ぐ決心をし、二代目社長として仕事をこなしてきました。

それから1年後、Aさんは無断欠勤をする日が多くなります。
決算時期でもあり、経理担当者から社長のカウンセリング依頼がありました。
様子を聞くと、銀行や得意先の付き合い、人事考課、ボーナスの査定、給与の辞令書、契約書の作成等、繁雑な仕事量に日々追い立てられ、過重労働で意欲を無くしていました。
心療内科に行き、「抑うつ状態」の診断が出たのです。

自宅療養に2カ月を要しました。
カウンセリングでは、父の後継者になったことの後悔や、自分の能力のなさや、将来の不安で心が潰れていました。
自分ができる範囲で、少しずつと考えていたが、社長の役割の重圧で判断ができず、会社を売却したいという思いまであることを伝えてきました。

Aさんの休職中は会社の相談役に経営を担ってもらい、休養する事に専念しました。
睡眠、体調も安定し、復職準備を始めたAさんは父の大きさを知りました。
父の息子で良かったといいました。
反抗心もあって、ただ家に寄りつかなかった自分は、父から逃避していただけで、父と向き合おうとしてなかった。
亡くなって父の偉大さを感じていると伝えてきました。

Aさんは無事に復職し、相談役と協力しながら社長業の見習いから始めています。
「父の後継者は自分だけと胸を張っていえる人間になります」という言葉はすでに父を乗り越え立派な経営者になる予兆がしました。

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