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[ SさんのケースNo.1 ] 今の会社も辞めたい

Sさん、36歳、SE、独身

会社の上司から勤怠が悪く、ミスが多くなっているのでカウンセリングを受けるようにいわれて来所されました。
印象は真面目で、実直。口数も多くなく、こちらの質問に淡々と答えてくれます。

体調を聞くと、「睡眠がとれず、朝が辛い、頭痛、吐き気がしてやっと会社に行っている。勤務中に眠気に襲われ席を外すことがある」と話しました。
今の仕事は、客先での仕事が中心で週1回自社に戻ります。自社に戻る日は休暇を取ってしまい、報告は電話で済ませ、1日中寝込んでしまいます。
入社して5ヶ月目ですが、退社を考えているといいました。

IT企業のリーダー職に昇進

前職は、従業員1000名のIT企業でした。
入社動機は、モノ作りができ、PCに興味がある自分に向いていて、一部上場で安心という理由です。
入社して3年目になると、部下の指導と時にはリーダーの代役もこなさねばならず、残業も増えてきました。
モノ作りが中心の仕事よりも客先との交渉や、部下とのコミニュケーションの時間が多くなり、対人関係が苦手なSさんにストレスが溜まっていく日が続きました。

入社5年目でリーダー職に就きました。客先は大手企業で仕事に厳しい注文を付けてきます。
その度にスケジュールの見直し、人員の削減、予算の見直し、部下の管理などで心身ともに疲れ切ってしまいました。
睡眠が十分にとれていない朝を迎え出社すると、客先の課長から呼び出されました。
テスト工程中に部下の大きなミスにより、納期が大幅に遅れてしまうことを知りました。
罵声を浴びせられ、金を返せとまで言われたのです。その1週間後、Sさんは退職届を提出しました。

次の会社でも管理職の重圧から退職へ

次の就職先は100名程度の企業です。
リーダー職は適していないことを伝え、SEの技術職専門で働く事を条件に勤務しました。
客先での仕事は短期プロジェクト(PJ)のオーダーが多く、半年、1年毎に勤務地移動があり、対人関係が苦手なSさんにとっては都合が良いものでした。

しかし、Sさんの上司は面接時にSさんが有名大学出身である肩書に期待を持ち、管理職の立場での仕事を望んでいました。大きなPJの受注が入り、責任者として仕事をするように言われたのです。
SさんはNOと言えず引き受けてしまいました。

大きな後悔の始まりでした。
30名の部下を任されましたが、会議でも、スキル不足のため理解ができず部下への報告も曖昧でクレームが続きました。
自分の実力は、自分で良く知っていましたが、肩書きで期待されてしまうことに戸惑い、不眠が続きました。

2ヶ月経過したある朝、起き上がることができず、無断欠勤をしてしまいました。
会社からの連絡が入りますが、電話に出られません。午後、会社の上司と人事担当者が自宅を訪ねてきましたが、居留守を使い応答しませんでした。

翌日も無断欠勤をしたため、会社は実家の父にSさんの様子を伝えて欲しいと連絡。
その後父からSさんに連絡がきて、電話口で「仕事を投げ出して休んでいるなんて、無責任だ。俺に恥をかかせるな!会社に迷惑をかけた以上、退職しろ!」と叱責されました。
父に言われ傷つきましたが、辞めろといわれこれで解放されると少し安心したのです。2度目の退職届を出しました。

好きな音楽の道に進むも、再就職へ

それからSさんは、以前から興味であった音楽の専門学校に入学し、夜はラーメン屋で働き生計を立てていました。
そんなある日、退職後の様子を知りたくて突然両親が上京してきました。

Sさんの生活を知った父親は激怒し、「音楽で身を立てるなんて甘いことを考えるな!何のために大学を出たんだ。音楽で食えるわけがないだろう。いい年をして幼稚な考えでいるなんて情けない」とこぶしを握る手は震えていました。
母は、食事はどうしているのか、家賃は、洗濯はどうしているのかと細かい質問をしてきます。
最後に両親は「ちゃんとした会社に就職しなさい」と言って帰りました。

専門学校を辞め、小さなIT企業に3度目の就職をしました。面接では、こんな高い学歴の人がうちの会社でいいのか、と言われました。
また、同じように期待されていることを感じましたが、父の言った言葉が頭から離れず入社しました。
しかし、客先との交渉ができず、アポをキャンセルしてしまい、解雇されてしまいました。やはり自分はサラリーマンには向いていないと悟りました。

父親の死とこれまでの人生

突然、母から父親がくも膜下出血で倒れ、亡くなったという知らせが入りました。
厳格な父で、Sさんの活躍を何よりも望んでいました。
小中高と私立に通い、大学受験の年には父はつきっきりで、答えがわかるまで勉強につきあってくれました。
父も某国立大学出身、商事会社で世界中を飛び回る働きぶりでした。

当然、Sさんにも同じ道を進むようにレールを敷いていたのです。
今まで、両親が決めた道をただ歩いてきたため、自分で何かを決める自信がありません。
本当は何をしたいのか、何が嫌なのか、考えずに生きてきたのです。

大学に入った時点で、勉強漬けだった自分を解放しました。
ハードロック音楽に出会い、勉強はほとんどしない日々でした。
音楽に触れている自分が唯一幸せであり、それ以外幸せだと感じた日はなく、感情の動きもない日の連続だったのです。

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[ SさんのケースNo.2 ] 今の会社も辞めたいでは、Sさんの生い立ちから自立までのプロセスをご紹介します。

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