●A子さん、40歳女性、IT企業(総務・経理・人事)
A子さんは、設立10年目、社員40人のIT企業に勤め、経理、総務、人事の全ての業務を一人でこなしています。
会長が大手企業から独立し、新会社を設立したばかりの頃に勤め始め、最初は社員5名だったと言います。
振り返ってみると無我夢中で10年間を走ってきたとのことでした。
A子さんは、忙しい仕事をこなしながらカウンセラーの資格を取得するほどの女性です。
人の話を上手に聞き、共感能力はとても高く、守秘義務もしっかり守るタイプなので、
役員から新入社員までが仕事の愚痴や家庭内のことまで話せるほど、皆から厚い信頼を得ています。
しかし、社員が30名を超えた3年くらい前から仕事量が多くなり、仕事の負担が心身に重くのしかかるようになってきました。
そこで、上司に相談し人員を増やしてもらうことにしました。
A子さんは、派遣社員で即戦力となる人材を募集してくれるとばかり思っていましたが、採用されたのは、
取引先の社長からの紹介をうけた、日本語学校を卒業したばかりの27歳の女性、Yさんでした。
会社の付き合いという忖度があったようです。
A子さんとYさんとの出会い
上司とA子さんは、Yさんの面談を行いました。
Yさんは小柄で、大きな目を不安げにキョロキョロとさせていましたが、日本の印象はとてもよく、
自国との貧富の差や利便性、日本国民の優しさについて感想を伝えてきました。
日本語での会話はたどたどしいのですが、考え方はしっかりとしていて、
日本で学んだ経験を活かし将来は自国で事業を興したいという夢も話してくれました。
A子さんは話を聞きながら、真っ先にYさんの教育をしなければなかないという責任感を感じましたが、
「積極的で、吸収力もあるし、A子さんだったらすぐに彼女を教育できるから大丈夫」と上司にポンと肩を叩かれた時は、事務の大変さを知らないでしょ。
私がサクッとこなしているから簡単な作業だと思っているでしょう、とも感じました。
Yさんの仕事
初出勤日、パンツスーツで出勤したYさんには意気込みが感じられ、事務所内もぱっと明るくなりました。
Yさんは皆に優しく歓迎されてA子さんの隣の席に着きました。
先ずは、PCの操作に始まり、お茶出し、冷蔵後のチェック、企業訪問のチェック、
社員名簿や社会保険関係の書類の作成、取引先のチェック、郵便物の取り扱い方、切手の貼り方、
お中元、お歳暮の種類の確認など細々したことまで、A子さんの教育指導が始まりました。
入社1ヶ月後、Yさんに数分の遅刻が目立ち始めたので、せめて5分前までには席に着くように注意したところ、
「1階に9時に着いていればいいんですよね?」と聞かれました。
「自席に9時ですよ」と伝えると「わかりました」と答えたので、ルールを理解していけばやっていけるだろうと少し安心しました。
ですが、文化が違うので注意の仕方はとても慎重にするようにし、日によっては、Yさんへの気遣いで、疲れ果ててしまう時もありました。
Yさんが苦手なのは、相手の役職に合わせた対応や契約書の作成、切手貼り、ファイルの分類、電話対応です。
Yさんは次第に苦手な仕事は避けるようになり、A子さんを頼ったり、部長に甘えたりして、その場を取り繕うようになりました。
部長は自分の娘と同じような年齢のYさんから相談を受けると、目じりを下げ自らやってしまうのです。
A子さんの究極のストレス
ある日、Yさんは取引先を間違えてデータを送ってしまいました。
間違えた先からA子さんに、重要な書類のようですが誤発信ではないですか?と連絡があり発覚しました。
「Yさんにくれぐれも間違えのないように念を押して伝えてはいたのですが。申し訳ありません。私の責任です」と
A子さんは役員に深々と頭を下げました。にもかかわらず、上司は「取引先との関係が悪くなるわけじゃないから大丈夫だよ。それよりYさんが落ち込んでない?」と心配してYさんの顔色をうかがう始末。
これには日頃温厚なA子さんも頭にきてしまいました。
「もう耐えられません!!」という言葉と共に涙を流し、トイレへ直行しました。
トイレで気持ちを整理することにさほど時間はかかりませんでした。
席に戻ると皆はいつもと変わらず業務をこなしています。
そっとしておいてくれた優しさに胸をなでおろして隣席を見ると、Yさんがいません。
聞くと、会長が泣いているYさんを連れて喫茶店に行ったとのことでした。
YさんはA子さんが部屋を出た後、パニックになり過呼吸を起こしていました。
会長に「私は独りぼっちだ、寂しいんだ」と訴えていたそうです。
その話を聞いてA子さんは反省をしました。
割り切ってYさんの教育を引き受けたのに、どこかでいつかご褒美があることを期待したり、
上司のYさんへの態度に嫉妬したりしている自分に気が付きました。
異国の地に一人で暮らすYさんの気持ちを理解してあげることもできず、
目の前の仕事がこなせないことや言葉が通じないイライラで、本来の自分を見失っていたのです。
自分に課せられた仕事量がオーバーワークになってしまうと、人間力の高い人、
共感性の高い人も不安になったり感情的になったりしますが、それも人間的で魅力で、安心できる存在なのです。